今回は「小学生の時、僕は」という話をご紹介します。
殺伐とした現代に、共存社会における 人を思いやる心 の大切さを思い出します。
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無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わな
かったけど学校に行くのはとても辛かった。 イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。
ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。
遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。
クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。
書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。
あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。
作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「じゃあ来週発表会をします。」と言った。
その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。
先生が選んだ中から順に書いた本人に読んでいってもらいますと先生は言った。
クラスの子たちのおもしろい文章にみんな笑ったり、お父さんの仕事に驚いたりしていた。
ただひたすら「僕の作文は選られませんように」ただ祈って下を向いているだけだった。
発表会は順調に進みあと10分で授業も終わるところまで来ていた。
「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」
様々な声が飛び交ったが非難の意見はみんな一緒だった。
「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください」
「僕のお父さんはいません。 幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。
だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。
お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。
いつもつかれたといってますが 甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるのでとてもだいすきです。
おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。
ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。
お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。
みんなはおまえの母ちゃんババァなんだと からかってくるので はずかしったけど
「だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。 お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。
お母さんはお父さんがいなくて ゴメンねと言ったりするので 早く僕が大人になって仕事をして
うちの家族のお父さん代わりになって お母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います。
だからおばあちゃんには長生きしてねといつもいっていて、
二人とも泣いたりするので すこしこまるけど そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。」
先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、
顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。
僕が初めて好きになった 初恋の子は机にうずくまって泣いていた。
でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。
お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。
そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんて、
あなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」
相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなくイジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。
先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。
作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど話を聞いた母も、
今は亡くなったばあちゃんもうれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。
僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど、
家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。